椿説豆腐小僧
はてさて、これから妖怪の話でもいたしましょう。
世の妖怪に、「豆腐小僧」というモノがおります。
今日はその、豆腐小僧の話。
最近は、京極夏彦先生の著作等もあり、結構有名ですので、その存在を知っている方も多いと思いますが、とりあえず最大公約数的にご案内しておきましょう。
豆腐小僧の姿は、笠を被った子供で、手にはお盆に載せた豆腐、これには大体紅葉がついておりますが――を持っているという形をしています。
そして、性質は実に妖怪らしくなく、妖怪の小間使いとして豆腐を届けるだけといったもので、中二的な言い方をすれば下級妖怪。人に害を及ぼさないし、別に怖い訳でも何でもないものです。
詳しくお知りになりたい方は、ウィキペディアをご覧ください。
この豆腐小僧、どこかの地方の伝承として昔から伝わってきた妖怪ではなく、草双紙などに登場するだけの存在で、江戸時代の妖怪ブームにのったどっかの誰かさんによって創作された、言わば「キャラクターもの」というというのが定説です。『妖怪ウォッチ』のジバニャンみたいな存在だと思えば良いでしょう。
さて、この豆腐小僧、基本的には「まったく意味がない」「ナンセンスなキャラクター、だがそれが良い」とされていますが、実は、ちょっとしたシニカルな意味が込められている存在です。
この妖怪自体が一種の判じ物に近いと考えても良いでしょう。
豆腐小僧の初登場は安永年間ですが、少し時代が下った寛政年間に「豆富小僧化物見習(トウフコゾウバケモノミナライ)」という滑稽本が出版されます。これは題名のごとく豆腐(富)小僧が化け物の親玉見越入道に奉公に上がり、化け物修行をするという内容なのですが、ここに豆腐小僧の謎を解くヒントが隠されています。
では、その該当部分を抜き出してみましょう。
「こりや小僧、豆豆しくはたらけば年季も早うにくるといふもの」
「化物といえどはらのうちも白かるべし」
「お身が孝養は見上げたものじゃ」(注:見越入道が見上げるという洒落)
「物腰はやはらかきにかぎる」
※以上、「 豆富小僧化物見習(トウフコゾウバケモノミナライ)」(寛政年間 館林大学黒沢文庫所蔵)より抜粋
ご覧いただきましたでしょうか? 実は、豆腐小僧というのは「丁稚(小僧)、ひいては奉公人のあるべき姿」を示しているのです。
――すなわち。
- 豆腐の材料は大豆ですから、「まめまめしく」働かなくてはいけない。
- 豆腐は白いので、「正直な、真っ白い心」で主人に仕えなければならない。(腹黒の反対ですね)
- そして、豆腐の様に「物腰はやわらかく」なければいけない。
- 豆腐小僧の持つ豆腐は紅葉豆腐なので、紅葉(コウヨウ)から、「父母には孝養を尽くさねば」ならない。
ついでにいえば、豆腐というのは「足が速い」(賞味期限が短い)ので、小間使いに行ったなら道草をせず、すばやく言いつけをこなすべし、といった具合です。
いやはや、豆腐小僧、意外と出来る子だった……というわけでなく、この本は滑稽本なので、豆腐小僧は上記の奉公人の理想像とはかけ離れた行動をとり、失敗して笑いを誘う、という内容です。
これが正にキモで、「(偉い人は)そうはいうけど、現実にはそんな奴いないよ」という皮肉で生まれたのが、この豆腐(富)小僧となるわけです。現実にはいない=妖怪というオチなんですね。何分、皮肉めいておりますが、そもそも滑稽本や黄表紙というのは洒落や諧謔や風刺の精神をもとに生まれていますし、妖怪と言うのがそもそもそんなものなのです。
さて、そんなこんなで豆腐小僧について説明してまいりましたが、重要なことを一つ言い忘れておりました。
この話、全部、嘘ですからね。
--おあとがよろしいようで。