椿説猫又(ねこまた)
YES! 猫派の洞田です。
今回の椿説(チンセツ)は、「猫又(ネコマタ)」についてです。
猫又は、妖怪オブ妖怪という存在で、また、妖怪ウォッチでも活躍しておりますので、皆さんご存知だと思うのですが、とりあえず簡単に説明しておきましょう。
猫又とは
猫又の一般的なイメージはというと、「猫が、二十年、あるいは百年を経て、妖怪になったもの。」そして、大抵「尾が二股に分かれている」とされています。
詳しくは、ウィキペディアをご覧ください。
さて、そのウィキペディアによれば、実際には猫又には2種類あり、1つ目は山奥に生息している大きな猫型の獣のこと、二つ目は、上記の説明にもあるように家猫が年を経て変化した、尾が二股に分かれ人語を解する妖怪のこと。で、あるようです。
猫又は、時代的には鎌倉時代、藤原定家の日記『明月記』から文献には登場するのですが、初期は、上記の1のイメージが強く、江戸時代になって、だんだんと2のイメージが定着していったという感じです。
尾が二股に分かれるという特徴は、2に付属するものですから、意外なことに「猫又=山奥の狂暴な大猫」がメインの時代には、尻尾が分かれているというイメージはあまりないようです。そして、その頃からこの妖怪の事は「猫また」と呼ばれていますので、猫又の「マタ」は尾が二つになっていることを表すというわけではないのです。
そして、2の、つまり現在の一般的なイメージである「尾が二つ」という特徴は、逆に名前から発想されたもののようです。猫又が家猫由来の妖怪という認識が広がるにしたがって、「大きい」という神秘性が否定され、代わりの神秘性として、名前から連想された「尾が二つ」という特徴があらわれたという事でしょう。が、ここは化け狐のイメージも借りてきたのかもしれません。
江戸時代ともなると、猫を飼う事は一般化していますので、当然長生きする猫を見る機会も多くなります。猫は哺乳類ですので、成長はある程度で止まりますから、家猫由来の方、つまり家にいる猫だと「だんだん大きくなってきたぞ!! これは猫又になるかも!!」という感覚になるのは難しいでしょう。それなら、「こいつ、人の言葉を理解しているような気がする。もう少したてば尾が二つになるかも!!」の方が現実味があるというわけです。
しかし、考えてみれば、1の猫又と2の猫又は正直いって別物です。そして、どうも山中の巨大猫又は、江戸時代にも報告されてはいるのですが、リアル感が薄れていっている印象です。
1型猫又の実在説
ここで、ある説を提示いたしましょう。これは、時々誰かが言っては忘れられる珍説なのですが……それは「猫又=オオヤマネコの生き残り」説です。
この説は、日本本土では縄文晩期までその存在が確認されていて、その後絶滅したとされている「オオヤマネコ(lynx)」が、ある程度まで、すなわち鎌倉時代ぐらいまではその数を減らしながらも生き残っていて、そのもの、あるいはその伝承が1の山奥の巨大猫型獣「猫又」とされているのではないか、という説なのです。
オオヤマネコは日本以外、ユーラシア大陸では現在も普通に生息しています。一メートルぐらいはありますから、これを日本の山奥で見かけたら、それは巨大に見えます。猛獣ですしね。
また、この説は「ねこまた」という名前の謎にも言及しています。上記で「マタ」は尾が二つになる前から付いていたと申しあげました。普通「猫又」は、「ネコ」+「マタ」と分割するのですが、実は猫の古語は、「禰古萬(ねこま)」(和名類聚抄毛群部、和名類聚抄とは平安中期の漢和辞書のこと)なのです。
するとつまり、「ねこまた」は「ネコマ」+「タ」なのであり、この「タ」は霊妙なるモノ、力のあるモノの意味である「タマ(霊)」のマが脱落した言葉とみなせます。猫又は、巨大な猫、霊力のある猫としての猫霊(ねこまたま)であるという考え方なのです。
そして、オオヤマネコは、まさに猫の親玉「猫霊」にふさわしい生き物なのです。
ただし、惜しむらくはこの説、縄文期の後ではオオヤマネコの化石は姿を現さなくなるので、そこがネックなのです。……いえ、実は一件だけ、骨の報告例がありました。
過去形なのは、今はもうその現物がないためです。
昭和十二年、高山高等農林学校の獣医学科教授佐々木立春(ササキタツハル)が、岐阜県高山市にある縄手権現に奉納されていたニホンオオカミのものと言われる骨を調査し、これはオオカミではなく「大山猫の骨」であるとして発表したことがありました。ですが、本格的な調査が始まる前に空襲でなくなってしまったのです。
縄手権現は、その創建が鎌倉時代初期の建久年間とされていますので、その奉納品ということは確実に建久の後ですから、もし、本当にオオヤマネコの骨であれば、中世まで時代を下ることができたのです。
かくして、誠に惜しいことにオオヤマネコは幻となり、猫又=オオヤマネコ説も巷間の隅っこで語られるだけの珍説になってしまいました。
……あー。今回はちょっと無理感がありますね。。
お後がよろしいようで。