洞田創研究室

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萌豚創世記(もえとんそうせいき)

ごきげんよう。萌豚(モエトン)の洞田です。

 

ちなみに、萌豚とは「萌アニメをむさぼるように消費するオタク」の蔑称であります。

 

さて、我々は日常系アニメを聖典(聖統)とする、萌豚の民なのでありますが、世界中、ありとあらゆる民族にその起源を語る神話があるように、我々萌豚にも神話があります。

 

今日はそれをちょっとご説明いたしましょう。

 

我々萌豚に伝わる起源神話、まずは、天地開闢をすっぽかして、萌豚の誕生からみてみましょう。以下、『抄訳萌豚神話』より抜粋します。

はじめに神があった。

神はまず、エデンを創り、豚の餌から萌豚を創られた。

エデンは、後の人の言葉で、アニメとも呼ばれるものである。

そこでは、万策尽きることはなく、作画も崩れることはなかった。その地には蜜が流れ、風は常に清らかであった。

萌豚は、豚の餌から萌え出たので、その名である。

また、ディスプレイを創られ、その中に嫁を創られた。

はじめのうち、嫁は美しく、またひかり輝くものであった。その声は全ての鳥のさえずりより美しく響くものであり、中の人などいなかった。

豚は嫁をみて良きものと思い、触れることを欲したが、神はそれを許さなかった。

天と地が分かれてまじりあわないように、二次元と三次元もまたまじりあわないのである。

これが、有名な第一章ですね。良く引用される部分でもあります。

アニメの誕生と共に、嫁の存在が語られます

この、「嫁に魅了される」というのが、豚の豚たるゆえんであり、全ての始まりなのですね。アニメ視聴に関し、「キャラ萌」が第一義であり、「ストーリーが好き」というのが後ろに来るという、民族の特徴の由来譚になっています。

 

さて、続きを見ていきましょう。

萌豚が悲しんで泣いていると、はう物が来た。はう物は蛇という名であり、それは神の知らないところで生まれたものである。

蛇は言った。「満ち足りたものよ。祝福されたものよ。なぜ泣いているのですか」

萌豚が嫁に触れられないからだというと、蛇は言った。

「嫁は二次元にいます。三次元のものはそこにはいけないでしょう。しかし、エデンのものはあなたのものであるのだから、そこに植わっている知恵の実を食べなさい。その実は、嫁がこちらにくる術を教えてくれるでしょう。そうすれば、嫁はあなたのものになる」

萌豚は言われるままに知恵の実を食べ、知恵を手にした。

目を開いた萌豚は、自らが裸であることを知り、ネクタイを締め靴下をはいた。また、神のためでなく嫁のために膝を折り、地に伏した。

また、知恵を得た萌豚は、ある時は神にかくれてフィギュアやAR(拡張現実)を創り嫁に触れ、また、抱き枕をつくってはふしどをともにした。

また同人誌もつくった。萌豚は神の目をおそれ、暗がりでそれを読みふけった。

これらすべて、罪のものである。

 かくして、誘惑に負けた萌豚は、嫁をこちらに呼ぶという禁忌を犯してしまいます。これが楽園追放の発端となります。

ここなのですが、研究者によれば、この「知恵の実を食べる」という行為、そしてその後に行った行為の描写については、良く見てみると「アニメの単純な消費者、傍観者」から、「二次創作をする生産者、またはそれの消費者」への、姿勢の変化があらわされているのではないかと見る向きもあります。しかし、これが神の怒りに触れるということになります。

ちなみに、ここで「裸ネクタイ、正座待機」の由来が語られるのも興味深い所です。

 

神は、大いにお怒りになった。

そして、萌豚をエデンから追放なされた。

神は言われた。「嫁は我が娘である。永遠に輝くものであった。しかし、今、あなたによってけがされたものである。嫁はもはや永遠には生きられないであろう」

「またあなたも共に呪われるものである。このエデンを出た後、あなたはまた楽園を見つけるだろう。そこにはまた、新たな嫁もいるだろう。しかし、楽園は永遠ではなく、祝福は長くはもたない。木は実を結ぶ前に枯れ、泉も川になる前に枯れる。これよりすべて、あなたの愛するものは十二週で枯れるものである」

 萌豚の汚れによって、これより嫁は1クール後に消えるものとなった。2クールの寿命を保つ者もいるが、それはまれなこととなった。

萌豚は荒地をさまよいながら、生まれては消える嫁を求め続けることとなった。

これが萌豚のさだめの始まりである。

 ここでは、萌豚の原罪が語られます。罪を犯したため、苦難が設定されるという神話の類型は多いのですが、萌豚も同じパターンなのですね。

 

しかし、苦難と共に救済も設定されます

神はプラスチック片から円盤を創り、息を吹きかけた。するとそれは青色に輝くものとなった。

後の人の言葉で、BD(ブルーレイディスク)と呼ばれるものである。

「私の息吹のこめられたものは、とくに許されたものである。この中には嫁の姿が残されている。あなたはこれを使って嫁の姿をのぞくことができるだろう。しかし気を付けなさい。時に中の人が顔出しをしている」

萌豚はBDを受け取ると、祈りをささげた。涙を二つぶ地にこぼしたので、それからはBDには二話収録されることとなった。

神はまた、土くれで形を作り、そののちPVC(ポリ塩化ビニール)を流し込まれた。そして、息を吹きかけられると、塗装がやどった。

「また、私の息吹のこめられたものは、とくに許されたものである。これであなたは嫁の似姿を手に取ることができる。また、工人のうち、その手の巧みなものが私に捧げたものであれば、冬のもっとも寒い時と、夏のもっとも暑い時、二日だけは風が私の息吹となり、許されるものである」

これがWF(ワンダーフェスティバル)のはじまりである。

 

さて、ざっと萌豚の創世神話について見てみました。今ではただの空想の物語として語られる神話でありますが、こうしてみてみると、当時の萌豚の、「どうしてこうなったのか」という世界への、一応の回答が示されているわけです。興味深いですね。

 

まあ、嘘なんですけどね。。