椿説付喪神(つくもがみ)
YES!! うさんくささに定評のある洞田です。
椿説(ちんせつ)の二回目の今日は、付喪(つくも)神の話をしましょう。
おっと、最初に言っておきますが、結論は前のアレと一緒ですからね……。
付喪神(つくもがみ)とは
さてさて、今回のお題である付喪神ですが、始めにその概要をご説明しておきましょう。とはいえ、アニメや漫画などの影響もあって、人口に膾炙しておりますから、知らないという方は少ないと思われますが……。
付喪神は、ざっくりいえば、「かつて、日本では作られてから九十九年、あるいは百年を経た道具類には、魂が宿ると考えられており、付喪神は、そのようにして器物が変じた化け物のことである。」……と、まあ、そんなところです。
詳しくはウィキペディアをご覧ください。
そんな器物の妖怪がなぜ、「つくも」と呼ばれるかについてですが、まず一つには「憑物(つくもの)」から来たという考え方があります。
しかし、有名なのは九十九を「つくも」と呼ぶことから、九十九年の長い期間を経た物だという考え方の方でしょう。前述の百年を経ている場合には、百神になりそうですが、「物の怪であるので、精が宿ると言っても人間の魂よりは不完全なものであり、一たらぬのだ」という解釈がプラスされます。
ちなみに、漢字の「九十九」に何故「つくも」という読みを当てるのか、を説明するときによく引き合いに出されるのが、以下の伊勢物語の歌です。
百年(ももとせ)に 一年(ひととせ)たらぬ つくもがみ われを恋ふらし おもかげに見ゆ
ここで言われている「つくもがみ」というのは妖怪の事ではなく、白髪のことです。まず、白髪をツクモ(フトイという草の別名)の草にみたてて、白髪を、(ツクモ草のような髪だからと)「つくもがみ」と読ませた後、更に白髪の「白」という漢字は「百」から「一」引いたものという洒落を前に付ける……という、洒落に洒落を重ねたという奴です。分かりにくいですね。
ちなみに、これを無理やり文章にすると、
在原業平「あのなぁ。”白”って言う字はよぉ。”百”に一足りないよなぁ。。つまり、九十九ってわけだ。……そうなってくると、今、このオレに言い寄っている”白”髪頭はだ、”九十九”歳のBBAってことになるよなァッ!!
そして、こんなBBAのぼさぼさの白髪頭、まるでツクモの草のようだよなぁ。。だからよぉ、オレはこれからマジで、”ツクモ草みてぇな白髪頭”の事を、”ツクモ髪”って言うことにするぜ。そしたらもう、白=ツクモなんだから、「九十九」のことだって「ツクモ」って言えるよなぁッ。そいつが、そんな奴がオレに恋してるってゆうんだぜぇッ!! とんだお笑い草じゃねーか!!」
「(後々)……だが、それが良い!!」
というわけですね。
※また、九十九を「次に百」として「つぎもも」=「つぐもも」=「つくも」とする説もあります。
さて、「付喪神」と「白髪(つくもがみ)」、音が一緒ですね。これは妖怪の「つくもがみ」という名称自体、つまり、ツクモだけでなく「ガミ」まで含めて、「人間であれば白髪になるほどの長い年月を得たもの」という意味合いを含んだものと解釈するものもあります。
実は、これを利用した「付喪神封じ」の技が、鹿児島薩摩地方(北薩地区)ではほんの少し前、1970年代前半まで行われていました。先祖代々の品や貴重な品などは、九十九年経ちそうだからといって破壊したり手放したりする訳にはいかないので、こういう場合に、器物が付喪神にならないようにする、付喪神封じをするのです。
薩摩民俗に見る付喪神封じ
では、具体的に説明してまいりましょう。付喪神封じは、この地方では「ツモガンシズメ」と呼ばれます。何のことはなく、「付喪神鎮め」が訛ったものです。これは、「ホシャドン(奉仕者殿・あるいは法者殿)」と呼ばれる、いわゆる拝み屋さんを主体として行われます。
さて、まずはそのホシャドンのもとに、伝来の器物がもうそろそろで九十九年経ちそうだからと、ツモガンシズメ(付喪神封じ)の依頼がきます。依頼を受けると、まずホシャドンがするのは、松を焼いて炭を作ることです。なぜ松なのかと言えば、松は「ときわ」とも呼ばれ、永遠性を持ちつつ常緑である、不老不死のシンボルであるというところからでしょう。この地方では、音が同じであるために付喪神は白髪を持つとされていますから、それを不老の、若い呪力でやりこめるのです。
おっと、若干の種明かしをしてしまいましたね。そうです。お気づきになられた方も多いと思いますが、「白髪を持つとされる付喪神に対し、炭を塗って黒く染めてしまう、黒髪にしてしまって若者にする」というのが付喪神封じの考え方です。ようは白髪染めの要領です。
さて、ツモガンシズメの当日。前日から斎戒(物忌み)をしたホシャドンが依頼人の家にやってきます。依頼人は親戚や知人を集めてこれを迎えます。この儀式は他と違って、こっそり行うものではなく、なるべく多くの人に見られると良いとされています。おかげで深刻な感じはなく、親戚大集合のため、おうおうにして何故かちょっとしたお祝いっぽくなってしまいます。
そして、ホシャドンは風呂を借り(これはしきたりのようです)、結界を張って、読経もしくは祭文を唱えます(これはホシャドンの系統が仏教系か神道系かで分かれます)。そして炭を砕いて、くだんの器物に炭の粉を塗りたくります。(とは言っても汚れると困るモノについては、ビニールシートなどで包んだ上で行うようです)
その際、ホシャドンは「こりゃ白髪(つもがん)か……んにゃ、黒髪(くろかん)じゃ」と言いながら、手につけた炭をぺたんぺたんと器物につけていくのですが、依頼人とそのゆかいな仲間たち(大体焼酎入ってます)は、それに合わせて「若い若い」「こりゃ、ニセドンじゃ」「ヨカニセどんじゃ」などと囃し立てます。
※ニセとは二才、若者という意味
どうやら、これにはお披露目的な意味があるようで、ホシャドン達の説明によると、「墨をつけただけでは付喪神(になりかけの器物)が納得しないので、みんなで若い若いと騒ぎ立てることにより、その気にさせる」ということのようです。人が多ければ良いというのはそういう訳なんですね。
ひとしきり器物に塗りたくった後は、ホシャドンを上座にあげて感謝のふるまいをします。一方の器物は下座に安置します。長幼の序というわけで、ここでも(付喪神になりかけの器物をその気にさせる)強制的年齢サバ読みをするわけです。このふるまいの時、依頼者達はホシャドンの持ってきた炭を、今度は自分たちの頭に塗ることによって、不老長寿のおすそ分けをするのですが、酔っているので、大体面白がって他人の顔に炭をなすりつける迷惑行為となります。
かくして、後日、依頼人がお礼の品(焼酎)と謝礼金をホシャドンの家に持ってきて無事終了となります。
なお、この儀式は、本来この地域独特なものではなく、中世において似たようなものが広域的に行われていた中で、時代が下った後、この地域に残った……というのが定説になっています。
まあ、全部、嘘なんですけどね
――あ、物を投げないで(焦り